易経の定型文

易経の卦辞、爻辞の中には頻繁に出てくる定型化された文章があります。そのいくつかを次に掲げてみます。

元いに亨る

「大いに通る」。 障害はない。してもよい。希望することは通じるだろうから積極的にやりなさい。いわば吉の暗示であり、プラスの回答として受けとめてよいです。ただし多くの場合、以下に条件がつくから、その条件は守らなければなりません。むしろ条件のほうが大切だともいえるので、この成句だけで軽はずみに喜んではいません。

貞しきに利ろし

「正しきによろし」。身を清廉潔白に保ち、道をはずれてはいけない。あるいは「それは正しいことである」とか「誠実、愛をもってよこしまな考えをおこさなければ…」と、いわばモラル遵守の要請です。これはほとんど全文といっていいほど頻繁に出てくる成句で、むろん変形として「何々は貞し」といった表現も見られます。いずれにしても悪いこと、怠惰なこと、悪意や憎悪、敵意などを持つことを禁じていると解釈することができます。わたしたちが一般常識で考えて判断がつく範囲で、素直に「良いこと」「悪いこと」を見きわめ、慎めばよいです。

大川を渉るに利ろし

「大川を渡るによろし」。これは象徴的な文句で、大きい計画、夢、目標、冒険的行動などを「しても大丈夫」という意味です。また逆にいえば「いまは決断のときである」とも受けとれます。「大きな計画があるなら、いまこそそれをはじめるときだ。決断しなさい。いまはそれができる時期である」とうながしているのです。この成句も実によく出てきます。用いられ方としては「大川を渉るに利ろしからず」と書かれる場合もあります。これはいうまでもなく否定的で「いまは大きなことはしてはならない」と解すべきです。

大人を見るに利ろし

これは両親、先輩、目上の者、賢明な人、尊敬する人などの意見を聞き相談しなさい、ということです。「いまは独断専行すべきではない。周囲の、とくに賢明な経験者の意見を聞くことが、あなたにとって最良のことである。そうでないと判断を誤る危険がある」と解すべきです。この成句も多く出てきます。

咎なし

あなたに責任はないという意味。ただし責任がないからといって、悪い情況がおきないということではありません。あくまで咎なし、責められないということです。

吉なり

吉は「幸運」「盛運」「上昇運」「発展」「進歩」「成功」「実現」などを暗示します。「吉なり」とあれば自信を持ってその方向に進めます。反対語はいうまでもなく「凶」。この場合は自重する必要があります。

往くところ

これは「先頭に立って行く」「出かけていく」ことで「良いとき」と「悪いとき」が示されます。「良いとき」は積極的に事に当たるべきで、「悪いとき」は人に従うほうがいいです。

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